願い、その果てに


 これはちょっとばかし、しくじったかな。  目の前でうごめく魔女の醜悪な姿を見据えながら、佐倉杏子は自分の失敗を鼻で笑った。  吹き飛ばされ、手の届かない距離に落ちて魔力で維持しきれなくなった槍が煙となって消えていく 「痛いな、もう……」  脚を絡め取った魔女の触手が杏子を引っ張り上げて逆さ吊りにする。天地が逆さまになった視界の中でうごめく魔女を杏子はにらむ。  杏子の声に反応したのか、魔女の本体が複雑に色合いを変える。胴体とおぼしき部分に横一線の切れ目が入り、口を開けたそこから出てきた筒状の物体が捕まったままの杏子へゆっくりと近づいていく。  筒の内部では、機械とも生物ともつかない歯車のようなものがみっしりと並んでいる。不規則に魔女から伸びる筒の中から、歯車上の物体がきしむ音を載せて生暖かい風が杏子へ吹きつける。 「あたしの身体に触れるとは、魔女にしてはなかなかやるじゃん。ま、もうすぐ死ぬけどね」  自分を飲み込もうと近づいてくる魔女の触手に向かい、逆さ吊りにされながら杏子は不敵な笑み向ける。身体の前、なにもないところへ伸ばした左手へ赤い光の粒子が集まり槍の形を取る。杏子は一振りで自分の足をつかむ魔女の触手を切り落とそうと── 「いま助けてあげるから、ちょっとだけ辛抱してね!!」  突然に響いた声に杏子が思わず目を見開くと同時に、視界の中に自分より少し年上なくらいに見える少女が長大な銃を構えながら飛び込んでくる。着地と同時に手に持つのと同じ長大な銃が少女の周囲に次々に現れ、少女はそれらを連続で魔女に向かって射撃する。  頭の芯に響く奇怪な音を発しながら魔女が身悶えする。振り向いて杏子へウィンクを飛ばすと、少女は胸元のリボンを引き抜いて宙にかざす。 「これでとどめよ……っ!!」   宙を舞うリボンが体積を増し、一瞬のうちに巨大な大砲を形作る。芝居がかったそぶりで空中へ飛び上がった少女は軽々と大砲を構える。 「ティロ・フィナーレ!!」  大砲から放たれた巨大な光の弾が魔女をつらぬく。胴体に大きな穴を空けられた魔女が動きを止め、枯れ葉を散らすように小さな破片に分かれて崩れてゆく。触手が消えたことで、身体を支えるものの無くなった杏子は受け身を取る間もなく頭から地面に落下して転がる。 「危なかったわね。もう大丈夫よ。身体に怪我はない?」  魔女の消滅と同時に結界が消え、揺らぎながら元の街の風景が戻ってくる。奇妙な衣装に身を包んだ少女は、尻餅をついたままの杏子に向かって笑いかける。 「もう怖がらなくてもいいのよ。ほら、立ちなさい」  耳の後ろで二つに結った明るい色の髪をカールさせ、現実離れした華美な服装に身を包む少女が手を差しのばす。手を取って立ち上がらせられながら、杏子は少女の姿をまじまじと見つめる。 「いきなりこんなことに巻き込まれてびっくりしたでしょう? あれは魔女って言って──」  なおも話しかけてくる少女をよそに、ひとつ息を吐くと同時に杏子は変身を解く。全身を包んでいた魔法少女の装束が赤い光にほどけて集まり、手のひらの上でソウルジェムの形をとる。  声を出せないくらい驚いている少女をよそに、変身前に服のポケットに入れていた菓子の箱を取り出して封を切る。  袋から一本取り出した菓子を口にしながら、杏子は少女に笑いかける。 「もしかして、あんたも魔法少女かい?」 「魔法少女が私のほかにも居たなんて聞いてないわよ!!」 「マミはこれまで、そんなことボクに確認しなかっただろう?」  怒りを込めてキュゥべえへ食ってかかる少女を、杏子はホコリひとつ無いガラステーブルにほおづえをついて眺める。  杏子を救ってくれた魔法少女は巴マミと名乗った。たまたま現場がマミの家のすぐ近くだったと言うことで、強く誘うマミに連れられて杏子はマミの家を訪れていた。決め手になったのは、家にはたくさんお菓子があるというマミの言葉だ。  目の前にはマミが用意してくれたケーキの皿がある。キュゥべえをにらみつけるマミをよそに、杏子は自分の前に置かれたケーキをフォークで突き崩す。  確かにマミの家に用意されていた洋菓子類は素晴らしかった。アルバイト店員相手だと魔法を使って強制的に言うことをきかせやすいから、ここしばらくコンビニのお菓子ばかり食べていた身には新鮮だった。  だけど、こんな騒ぎに巻き込まれるのはごめんだ。 「つまりは私や、そこの佐倉さんみたいな娘がもっとたくさん居るってこと?」 「もちろんそうだよ。マミは魔法少女を自分だけの特別な何かのように思ってるみたいだけど、ボクからするとそれは大きな勘違いだよ」  キュゥべえ。いまいましい魔法の使者。したり顔でマミと会話しているその白い姿を前にしては、とびきりのケーキも美味しくない。 「佐倉杏子。君は自分以外にも魔法少女が居ることを知っていただろう?」 「……ああ、そりゃもちろんさ。今までに何人も会ってきてるからね」  マミとでは会話にならないと感じたのか、キュゥべえが話を振ってくる。おざなりに答え、杏子はフォークでつつきすぎてだいぶ崩れてきたケーキを口に運ぶ。 「佐倉さん、それなら他の魔法少女の娘に連絡を取ったり出来る? みんなで一緒に戦えたら──」 「はあ?」  ケーキを口に入れたまま、杏子はあっけにとられてマミを見返した。他の魔法少女に連絡を取る?  魔法少女は限られたグリーフシードを取り合うライバル同士だ。杏子が契約したのは十一歳の時だから一人きりの戦いを続けてもう三年近くになるけれど、成り行きでの一時的な共闘こそあれ協力関係などついぞ築いたことはないし、持ちかけたこともない。  いまこうしてマミの部屋に招かれているのも、先ほどの戦いで一度助けられているからだ。これだけ美味しいケーキがあるのならまた来てもいいとは少しだけ思っていたけれど。 「助け合えばもっと楽に戦えるわ。みんなで、この街を守りましょう」  驚きのあまり杏子は口の中のケーキを飲み込むことすら出来ない。その沈黙を同意と受け取ったのか、マミがさらに続ける。 「自分しかいないと思っていたけれど、他にも仲間が居たなんて…… こんなに嬉しい事ってひさしぶり」  すがるようなマミの言葉。それに、ようやくケーキを飲み込んだ杏子は無言で首を振った。  魔法少女なんて、そんないいものじゃない。 「他の魔法少女に連絡を取れないの? それなら佐倉さん、あなたは? あなただけでもいいから、わたしと一緒に戦ってくれない?」 「なんであたしが、あんたと一緒に戦わなきゃいけないわけ?」 「私たちは魔法少女なのよ。みんなを守るためには、二人でいっしょに戦ったほうがいいに決まってるじゃない」  にじり寄ってきたマミが杏子の手を取る。その背中越しに、窓際のソファーの上に表情を変えず無言でたたずむキュゥべえが見える。 「佐倉さん?」  何も答えない杏子の手を握ったまま、マミが不安げに尋ねる。魔法少女と言うだけで仲間意識を感じてでもいるのだろうか、あまりにも無警戒なマミの様子に杏子は哀れみすら感じる。  みんなを助けるなんてお題目を唱える魔法少女に会うのは初めてだった。まさかマミは、騙そうとしているなどではなく心底からそんなことを信じているのだろうか。 「あんた、いつ魔法少女になったんだ?」 「え? ああ、それなら一昨年の秋からよ。小学六年生のときだけど……」 「なら、キャリアは二年ちょっとか」  魔法少女として契約を結ぶのは中学生くらいが一番多い。他の魔法少女たちと比べれば杏子はかなり早いほうだ。だからマミも、契約したばかりの勘違いしたルーキーかと思っていた。  だが、実際は自分の方がほんの少し先輩なだけだ。だからこそ夢見るようなマミの発言が気に障る。 「じゃあ、佐倉さんはいつから魔法少女をやってるの?」 「三年前からだよ。いまは十四歳、あんたと同い年」  天涯孤独の身になったあの日から学校には行っていない。そもそも今の自分の戸籍がどうなっているのかも判らないし、気にしたこともない。もしかしたら、もう死んでいることになっているのかもしれない。そう思うと、中学二年とは言いたくなかった。 「同い年って、なんて素敵な偶然なのかしら。やっぱり私たちは一緒に戦う運命なのよ!」  同い年と言うところにやたら反応したマミが満面に笑みをたたえて杏子に迫る。まさかそこに反応してくるとは思わず、杏子は自分の愚かさを呪う。 「ねえ佐倉さん、私と一緒に──」  さすがにもう、付き合いきれない。 「じゃ、あたしはそろそろ帰るから。ケーキ、美味しかったよ」 「佐倉さん、まだ話は終わってないわ!!」  マミの手をふりほどいて立ち上がると、杏子は玄関に向かって足を進める。背中に呼びかけるマミの声に耳を貸さず、ドアを開けマンションの廊下に出た杏子の髪を吹きつけた夜風が揺らす。  もうすぐ本格的な冬がやってくる。寒さに凍えながら夜の魔女捜しはおっくうだ。魔法少女なのだから、いっそ魔法で寒さをしのぐことは出来ないのだろうか。  とりとめのない思考をもてあそびながら小綺麗なマンションの廊下を進む。 「待って!! 佐倉さん……」  玄関から飛び出してきたマミが声を上げる。振り向かないまま片手を上げて別れを告げ、杏子はエレベーターに乗り込んだ。 「なんなのさ、あいつは」   マンションの入口ロビーへ向かって降りてゆくエレベーターの中で、壁に背中を付けて天井を見上げる。汚れひとつ無い照明が眩しい。  魔法少女の身体能力なら、マミの部屋の高さから地面まで一気に飛び降りることだって出来る。気取ってエレベーターに乗ってしまったけれど、先回りしたマミが待ち受けていたりしたらどうしようか。 「……そんな事できる娘じゃないか」  自分なら必要とあらばいつでも魔法少女の能力を使っている。それが、魔法少女として生きると言うことだ。  だが巴マミは、日常生活で魔法を使うようなタイプには見えなかった。どうやら彼女は心の底から正義の魔法少女という存在を信じているようだ。最初は新人にありがちな勘違いかと思ったけれど、それともまた雰囲気が違う。  いったい何を契約の願いにしたら、あんな風になるのやら。 「みんなを守る、ね……」  契約したばかりの頃の記憶がふと蘇る。杏子がため息をつくと同時に、エレベーターのチャイムが一階へ到達したことを告げる。  マンションのエントランスホールを出た杏子は、口寂しさを紛らわそうと上着のポケットを漁る。 「あれ、落としちまったか」  ポケットの中に菓子が見あたらないことに気づいた杏子は顔をしかめる。きっとマミの部屋に落としてきてしまったのだろう。  忘れ物を取りにもう一度戻るなど論外だ。目についた道端のコンビニエンスストアに入り、スナック菓子を小脇に抱える。 「ありがとうございましたー!!」   店員と店内にいた客に軽く魔法をかけると、商品をレジに通さぬまま店内から出て行く杏子に店員が大きな声で挨拶する。  一人きりの生活をはじめたばかりの頃はうまく魔法が効かなくて万引きで捕まったこともあった。あまりにも繰り返すのでコンビニやスーパーマーケットでマークされ、おかげでほとぼりを冷ますために二年ほどこの見滝原から離れた郊外の町へ出るハメにまでなった。  でも、いまはこの通りだ。 「魔法なんて、自分のためだけに使えばいいのさ」  包装紙を勢いよく開けて手を突っこみ、取り出したポテトチップを口の中に放り込む。  ろくに味わいもせずにかみ砕くと、慣れ親しんだ塩辛さが口の中を満たす。ポテトチップを飲み込みながら、杏子は左手の薬指にはまった魔法少女の証の指輪を撫でた。              * 「佐倉さん、危ない!!」   目の前をふさぐ使い魔達が次々とはじけ飛ぶ。なぎ払おうと構えていた槍を下ろし、ため息をつきながら杏子は振り向く。 「あのさあ、なんのつもり? あたしは一言も助けてくれなんて言ってないんだけど」 「魔法少女同士、助け合わなくちゃ。せっかく同じ魔女を倒そうとしてるのだもの」  いまも銃口から薄く煙を噴いている銃を投げ捨て、微笑みながらマミはどこからともなく新しい銃を取り出す。 「一緒に? あんたが勝手に後から結界に入ってきたんじゃん」  マミに向かって毒づきながら杏子は後ろ手に槍を振る。いくつかに分離しながらしなった槍は、後ろから杏子に襲いかかろうとしていた使い魔の頭とおぼしき部分を正確につらぬく。 「ここの魔女のグリーフシードはあたしがもらうよ。戦い損になりたくなかったら、いまのうちに出ていきな」 「グリーフシードは貴女にあげる。でも、いくらあなたが強くても一人では限界があるわ。貴女のためにも、協力させて」 「なに言ってるのさ? グリーフシードが必要ないって、あんた本当に魔法少女か?」  薄気味悪い微笑みをたたえてこちらを見据えるマミを杏子はにらみつける。混沌が支配する魔女結界の中で、二人の魔法少女は視線を交錯させる。  横合いから飛びかかってきた使い魔を視野の隅で捉える。回し蹴りをくらわせてはじき飛ばし、身体を回す勢いを殺さぬまま杏子は使い魔に槍を突き立てる。砂のように崩れていく使い魔をよそに杏子が振り返ると、リボンでがんじがらめにした使い魔の頭をマミが撃ち抜くところだった。 「ほら、二人でならあっという間でしょう?」  得意気なマミが新しい銃を取り出して構える。相変わらずの態度は気にくわないが、契約してから年数が長いだけの実力はあるようだ。助けになるかどうかはともかく、ついてこられても足を引っ張られる心配はしなくていいだろう。 「あんたが勝手についてきたいって言うなら止めない。でも、もしやられそうになっても、あたしは助けないからな」 「ありがとう、佐倉さん」  返事を待たずに杏子はマミに背を向けて駆け出す。いつもなら使い魔なんて相手にせずに魔女へ一直線に行くところを、マミと話して立ち止まっていたおかげで余計な魔力を使ってしまった。これ以上必要のない戦いは避けるべきだ。  魔女の気配に向かって杏子は結界の中を駆ける。段差を飛び越えて細長いトンネルに飛び込み、身をかがめながら走り抜けた先には一本のスロープのみが続くだだっ広い広間のような空間が広がっている。  左右に広がる底の見えない暗闇に目もくれず、ひとり分の幅しかないスロープを杏子は駆け上がる。闇の中で何かがうごめいているのが微かに見えるけれど、その正体を確かめる気なんてさらさら無い。 「佐倉さん、気を付けて!!」  後ろからマミの声が聞こえると同時にスロープの左右の闇から使い魔が飛び出してくる。思い切り前に突きだした槍の先端をスロープの表面に突き刺し、しならせた槍を使って杏子は大きく飛び上がる。槍を手元に引き戻しながら空中で身体をひねり、使い魔達の背後を取りながらスロープの真ん中に杏子は綺麗に着地しする。 「うりゃっ!!」  幾つもの節に分かれながら伸びた槍が使い魔を切り裂く。崩れてゆく使い魔の向こうに、身体の回りにたくさんの銃を展開させたマミが見えた。  展開させた銃を撃つ相手を失い、マミが視線を泳がせる。 「あたしのことでも撃ってみるかい?」 「そんなことっ!! 私はただ佐倉さんを助けようと思って……」 「あんたの魔法の使い方、工夫がなさ過ぎ。たくさん銃を出して撃つだけ? そんな事ばっかりしてたら、すぐにソウルジェムが濁っちゃうよ」  何も答えぬままマミが手を振ると、空中を漂って集まってきた銃が彼女の身体へ吸い込まれるように消えていく。 「こんなところで跳んだりはねたりするほうが危険だと思うわ。もし、うまく着地できなくてこの下に落ちたらどうするつもりだったのよ」  一丁だけ手元に残した銃で、マミがスロープの下に広がる暗闇を示す。気色悪い動きで波打つ闇の中で、ときおり明滅する虹色の光は使い魔のものか、食われた人間達の魂か。 「はあ? もしかしてあんた、結界の中ではあたし達は空を飛べるのを忘れてるの? 落ちるわけ無いじゃん、こんなとこ」  もう付き合っていられない。言葉もなく固まっているマミを尻目にきびすを返すと、邪魔にならないように槍を縮めて背中に担ぎ杏子は走り出した。  飛び出してくる使い魔を身をかがめてすり抜ける。屈んだ反動を利用して一気に足を伸ばして飛び上がり、上から降ってきた次の使い魔をすり抜ける。空中で前転して姿勢を整え、杏子はそのままスロープに沿って上空を一直線に飛んでゆく。 「佐倉さん!!」  暗闇から次々にあふれ出してきた使い魔がスロープを埋めてゆく。さっきマミと立ち止まって話している時にはほとんど出てこなかったということは、自分たちの動きに反応したのか。  振り向けば視線の先で、マミは苦戦しながらも少しずつ歩みを進めている。使い魔が出てくるそばからリボンで拘束して銃で撃つだけの力任せの戦い方だが、意外にもマミの動きは安定している。強化された魔法少女の視力で彼女の顔を眺めれば、激しい動作に多少汗をかいているようだけど焦りの色は全く見えない。 「これなら、放っておいても大丈夫だよな」  マミが苦戦している間にとっとと魔女を倒し、グリーフシードを独り占めにしてしまおう。そうすれば彼女も、これ以上自分に共闘を持ちかけることの無意味さに気づくだろう。  マミの放った銃弾がまた一体の使い魔を消滅させる。それを横目に杏子は魔女が待つ結界の最深部へと向かう。 「鏡……? この中から気配がしたんだけど」  スロープを上りきり、その先に待つ光に飛び込んだ先は見渡す限りに広がる鏡の部屋だった。 「なんなのさ、これ……」   後ろを振り向くと入ってくるときに使った光の扉は跡形もなく消えている。槍を構え、用心しながら周りを見回す杏子の姿が鏡に反射して何重にもなる。  さながら迷路のように組み合わさった鏡のなかを、息を潜めて杏子はそろそろと進む。分かれ道が現れるたびに先を覗き込むが、先に広がるのは鏡と暗闇ばかりだった。  間違いなく魔女が潜んでいるはずの結界最深部の大広間に、杏子の足音だけが響く。入口が無くなってしまったから、ここで魔女を倒す以外に結界から脱出する方法はない。  周り中から魔女の強い気配を感じるのに、どこを見ても鏡と暗闇だけが続いている。 「あれ……?」  ふと足を止めて杏子は周りを見回す。視界の中では、見渡す限りたくさんの鏡に映った自分がこちらを見つめている。 「あたし、こんな背が低かったっけ……?」  鏡の中で、魔法少女の衣装で槍を下げた自分はなぜか小さく見えた。他の鏡を確認しようと振り向いた杏子は、さらに信じられないものを目にする。 「なにこれ……? なんで、こんな、昔のあたしが」  いまはもう記憶の中にしか存在しない、教会と一緒に焼けてしまった幼い頃のお気に入りの服。それを身につけ、いまの自分よりだいぶ幼い顔立ちの自分がこちらを見返している。 「なんなのさ、これは!!」   腹いせに槍を繰り出して目の前の鏡を砕く。あっけなく崩れた壁のすぐ向こうにはもう一枚の鏡がある。  先ほどとは違い、パジャマ姿の自分が無表情にこちらを見つめている。そしてまたこれも小さな子供の頃に着ていた服だ。ふと下に眼をやれば、散らばった鏡の破片のそれぞれに違う格好、違う年齢の自分の姿が映っている。  魔女の結界に入ったことなどもう数え切れない。見た目だけならもっとひどい物もいくつもあった。だけど、これは……  床に散らばる無数の自分から目を背けて振り返る。目の前の大きな鏡の壁に写った数年前の自分の姿。その首からは、杏子の家族が、父親が信じていたあの宗教のシンボルが提げられている。 「……っ!!」  辛抱できなくなって杏子は目の前にある鏡を打ち砕いた。 「どこにいる? 出てきな!!」  闇雲に鏡の壁をぶち破りながらしばらく魔女を捜し続ける。壁の向こうに居る気配だけは感じるのに、いくら鏡を壊しても魔女は見つからない。  魔女結界に現実世界の物理的距離は関係ない。脱出するには魔女を倒すか、魔女自身がその場から逃げていくかのどちらかだけだ。  しばし膝に手をついて息を整える。その拍子に床に散らばる鏡の壁の破片に目をやると、相変わらず一つ一つ違う服装、違う年齢の自分がこちらを見つめている。それに耐えきれなくなった杏子は、しばし目を閉じる。 「……っ!!」  不意に後ろから襲ってきた衝撃。腕で顔をかばいながら床に倒された杏子は、身体を捻って自分にぶつかってきたものの正体を見極めようとする。  さっきまで杏子がいた場所では、人間一人ほどの大きさの不定形の黒い固まりがうごめいている。どうやらこれが、杏子に体当たりを食らわせてきた相手らしい。 「やっと出てきてくれたね……」   身体を起こす杏子の目の前で、鏡に映る自分の像が次々に黒く染まるとそのまま鏡の中から這い出てくる。瞬く間に数を増やした彼らに取り囲まれながら、杏子は腰を落として槍を構える。 「あたしに不意打ちなんて、魔女のくせしてやるじゃん」  まるで合わせ鏡のように、際限なく周囲を取り囲む黒い影は増えていく。もしかしたらこの魔女は一体ではなく、集合体なのかもしれない。 「そうそう。そうやって本性を見せてくれれば、楽に戦えるってもんさ!!」  杏子が振るった槍が魔女を切り裂く。移動した拍子に新しく写った鏡の中の幼い杏子が黒く染まり、また新しい魔女が這い出してくる。 「……っ!! まだ増えるのかよ!!」 「助けに来たわよ、佐倉さん」  舌打ちした瞬間に響いた声に、杏子は思わず上を見上げる。はるか上の鏡の間の入口で、浮かばせた大量の銃とともに立つマミが見えた。 「これで終わりよ!!」  マミの号令と同時に、浮かんだ銃が一斉に火を噴き、一撃で視界の中にいる魔女たちの半数が吹き飛ぶ。二発目のために再び銃を展開し始めたマミと、呆然と立ち尽くす杏子をよそに、恐怖におびえたらしき魔女たちは闇に包まれた通路の奥へと後退していく。  マミが銃を展開し終える頃には、結界が次第に薄れ見滝原郊外の倉庫街の風景が周りに戻ってきていた。 「逃げられちゃったわね…… もう一撃できれば、ぜんぶ仕留めたのに」  マミが銃を構えたままため息をつく。 「佐倉さん、貴女はちょっと不注意すぎるわ。そんな戦い方してたら、いつか魔女にやられるわよ」  ウィンクしながら銃を手品のように消し、マミは憮然とする杏子に声をかけた。  どんなに数がいても一体ごとの能力は大したことがない魔女だった。マミに助けられずとも自分だけで切り抜けられた自信はある。 「うるさいなあ…… あんただって、あんなに魔法を連発してていいのか? すぐにソウルジェムが濁っちゃうじゃん」  いまさらマミに指摘されるまでもなくわかっている。そう思うと、杏子の口調が心なしかきつくなる。 「私はいいのよ。グリーフシード、まだこんなにあるし」   だがマミはそれを気に留めた様子もなく、懐から無造作に四個ものグリーフシードをつかみ出す。 「貴女のような魔法少女に前で戦ってもらえると、私みたいなタイプはすごく助かるわ。それに私、治療の魔法も使えるのよ」  近づいてきたマミが杏子に手をかざす。拒むまもなく、瞬く間にマミの手から漏れる光が魔女に倒されたときについた杏子の傷を治してゆく。  魔法少女の魔法は契約の願いを忠実になぞる。治癒の魔法と言うことは、誰かの回復でも願って契約したのだろうか。 「ありがと。じゃあ、あたしはこれで……」  言い残してその場を去ろうとする杏子の肩にマミが手をかけて引き留める。 「待って!! 佐倉さん、私が持ってるグリーフシードを分けてあげるからそれで協力してくれない?」 「グリーフシードを……?」  魔法少女にとってのグリーフシードはそれこそ食事と同じくらい大切なものだ。手に入れる手段が魔女からに限られている以上、おいそれと手放したりできるものではない。なのに、この娘は…… 「佐倉さん、いま手持ちのグリーフシードがほとんど無いでしょう? 持っていたら、今ごろ浄化しているはずだものね」  マミに痛いところを突かれて杏子は押し黙る。今まで持っていたグリーフシードはちょうど使い切ってしまって、この魔女を倒して手に入れるつもりだった。  だが、魔女はもう逃げてしまっている。鏡を壊したりして無駄に魔力を使ったので、杏子のソウルジェムは浄化が必要なくらい濁ってしまっている。 「……なら、さっきの魔女、鏡のあいつを倒すまでは協力してやるよ」  背に腹は代えられない。けれど、ずっと続く協力関係なんてまっぴらごめんだ。  杏子の言葉にマミが満面の笑みを浮かべる。 「私としてはこれからずっと二人で戦ってもいいんだけど……」 「これからさきに倒す魔女が落としたグリーフシード、全部あたしにくれるならね」  それはさすがに無理よ、とマミが口を尖らせて不満を漏らす。さすがにそこまでの条件をのみはしないのか。普通の魔法少女なら当然ではあるが、一風変わっているマミなら賛成するのではないかと心のどこかで疑っていた。  もちろん、マミがそんな条件を飲む狂った魔法少女だったとしたら、今すぐに手を切ってこの場を去るつもりだったが。 「じゃあ、これで魔法少女コンビ結成ね!! よろしく、佐倉さん」 「……ああ。よろしく」  杏子の右手を両手で固く握り、マミが目をうるませながら握手してくる。そんな彼女に杏子は仏頂面で微かにうなずく。 「それじゃあ、私の家まで行きましょうか。おととい、隣町まで行って買ってきたケーキがあるのよ」 「おい、ちょっと待てよ。あたしはまだあんたの家に行くなんて一言も──」 「来ないの?」  否定されることなど考えていなさそうなそぶりでこちらを見やるマミの視線に、杏子は頭をかいた。どうも、こんな風に接されると調子が狂う。 「わかったよ。ケーキ、食べに行ってやるから」              * 「えいっ!」  両手に銃を握ったマミが発砲する。銃弾を身に受けた魔女が、身をよじりながら逃げ出していく。 「佐倉さん、そっちに行ったわ!」 「はいよ!」  一突きで数体の使い魔をまとめて突き刺していた杏子が、マミの声を受けて振り向く。ふらふらと飛んでくる魔女をマミの腕から伸びたリボンが縛り上げ、ちょうど杏子の目の前でつるし上げる。待ってましたとばかりに杏子が槍を突き刺すと、身体の中心を貫かれた魔女は一瞬だけ大きく震えて枯れ葉を散らすように消えていった。 「さすがよ、佐倉さん!!」 「ちょ、ちょっと待てって」  結界が薄れ、夜の工場地帯の風景が周りに展開する。緊張をゆるめて変身を解いた直後に喜色満面のマミに杏子は飛びつかれる。豊満なマミの身体に押され、杏子は二、三歩たたらを踏む。  あの日から二週間あまり、いくら探しても鏡の魔女の気配は見つからなかった。なし崩しにマミの夜のパトロールに付き合ううちに、杏子とマミは既に鏡の魔女とは別の魔女を五体も仕留めていた。単独で街をうろつく使い魔もおなじく五体ほど仕留めているから、戦いのない夜の方が少ないくらいだ。  霊脈がどうとか地形がどうとかで、見滝原の街は特別に魔女が発生しやすいとキュゥべえから聞かされた覚えがある。だが、正直なところここまでだとは思っていなかった。  杏子がむかし戦っていた見滝原の街外れ、教会の周りはこれほどひどくなかったし、ましてここ数年を杏子が過ごした郊外の町ではせいぜい週に一体と戦えばいいくらいだったのだからなおさらだ。  こんな所では、契約した直後から力を発揮できる魔法少女──すなわち天性の才能が有るものでないかぎり長く生き延びることは出来ないだろう。普通の娘なら、一週間と持てばいい方か。  マミがこの街で他の魔法少女に出会わなかったのは、きっと出会う前にみな死んでしまったから。  二人で戦うことを無邪気に喜ぶマミはこのことに気づいているのだろうか。自分の胸に抱きついているマミを、杏子はどこか冷めた面持ちで見下ろす。 「さて、ソウルジェムが汚れちゃったから綺麗にしないと」  ひとしきり喜んだあと、ようやく杏子から身体を離したマミがつぶやく。マミが懐から取り出したグリーフシードに穢れを移す横で、杏子も先ほどの魔女が落としたグリーフシードを拾い上げる。  例の鏡の魔女のグリーフシードは譲ってもらう約束はしたけれど、それ以外の魔女をマミと一緒に倒すことになったのは予想外だった。そこで追加の条件として、魔女にとどめを刺した方がグリーフシードを拾う権利があると取り決めていた。  そんな風に決めているのに、マミは杏子にとどめを譲るようなことを平気でやる。今日の魔女だってそうだった。 「うーん、これ以上は危ないかしら」  ソウルジェムから穢れを移し終え、真っ黒く染まったグリーフシードを顔の前に持ってきてマミが眺めている。 「もうそんなに黒くなったの? 一回の戦いであんなに撃ちまくるからに決まってるじゃん」 「これはもう駄目ね。あとでキュゥべえに渡しておかないと」  ほとんど真っ黒になったグリーフシードが不気味に振動をはじめる。マミはため息をつきながらそれをハンカチに包んでバッグの中にしまう。 「もう一個使い切っちゃうってありえなくない? あんた、本当に大丈夫なの?」 「大丈夫。今までもずっとこんな感じでやってきたし、何とかなるわ」 「何とかって……」  さすがに危ぶんだ杏子の言葉にもマミは微笑むばかりだ。やはり、見滝原という異常なほど魔女の発生の多い街で数年間も一人きりで戦ってきたマミの感覚はどこかずれている。 「前にも言ったけど、あんたの戦い方は効率が悪すぎるんだよ。あたしみたいな直接攻撃なら、武器を維持するだけの魔力消費で戦えるのに」 「私の武器は銃なのよ? 佐倉さん、貴女と同じようには出来ないわ」  眉を寄せてマミが答える。その固定観念こそが戦法の硬直を招き、やがてそれが死に繋がると言うのに。  魔法少女の武器や戦い方はそれぞれの性格や願いに強く影響される。そしてそれ故に魔法少女たちは自分の武器、自分の戦い方に強く固執する。  おっとりとしたマミが近距離戦を嫌い、銃を武器とするのはしごく当然のことだろう。杏子だって槍を手放すつもりはない。 「確かに魔法少女になってから身体の動きがすこし軽くなったけど、銃が武器じゃ貴女のような戦い方は出来ないわ」 「何もあたしとまるっきり同じ事をする必要はないさ」  変身を解いたまま、杏子はソウルジェムから槍を出して勢いよく振るう。幾つもの節に分かれた槍がしなりながら伸び、遠くに転がる空き缶をはじき飛ばした後で手元に戻る。 「こんな事ができるのはあたしだけだ。でも、あんたにはあんたなりの冴えたやり方があるじゃん」  足元に転がる空き缶を拾い、杏子はマミに変身を促す。  いぶかしげにしながらマミがもう一度魔法少女姿に戻る。黙って変身が終わるのを待っていた杏子が空き缶を投げつけると、反射的にマミは銃を構え撃ち落とす。 「こうやって撃てばいいじゃない。何度も言うけど、他にどんな戦い方があるのよ」 「なら、連続できたらどうする? その銃、一挺に付き一発しか撃てないんだろう?」 「それならこうするだけよ」  マミが手を広げると魔法少女の衣装の腕と服、スカートの中から何挺もの銃が現れる。地面に降り立つと勝手に自立する銃たちの中で、マミは目を細めて微笑む。 「どうかしら?」 「わかったわかった。それならね……これでどう!!」  予備動作なしに踏み込んだ杏子がマミに向かって槍を伸ばすと、節に分かれないまま長さを増した槍がマミの鼻先で止まる。 「魔女や使い魔にはいろんなタイプが居るのはあんたも知ってるはずだよね。これから先、こういう戦い方をしてくる奴がでてこないと何故言えるのさ?」 「佐倉さん、あなた何を……」 「自慢の銃が火を噴く前に、あたしはあんたを貫けるよ。さあどうする?」  あっけにとられていたマミの目に涙が広がっていく。ちょっとやり過ぎたかなとも思うけれど、甘すぎるマミにはこのくらいでちょうどいい。  恐怖のあまり身体を震わせたマミが銃を取り落とす。周りに立っていた銃も一緒に倒れるところを見ると、地面に突き刺さっているわけではなく魔法で制御していたのか。 「あたしたちは仲間でしょう? 一緒に魔女を倒すって約束したじゃない!」  鼻声になったマミが叫びながら後ずさるが、それに合わせて距離を詰める杏子の槍からは逃げられない。  杏子が槍を少しだけのばし、マミの鼻先を軽く突く。息を呑み身体を硬くしたマミをニヤリと笑いながら見つめると、杏子は槍をソウルジェムの形に戻した。  それと同時に腰を抜かしたマミが崩れ落ち地面に座り込む。 「ひどいわ……」  うつむいたマミの瞳から落ちる涙が、埃に汚れた裏路地のタイルに染みを作ってゆく。 「あんた、魔法少女になる前に銃を撃つ練習をしたことある?」  さすがに少々ばつが悪い。間を持たせるように、静かに泣き崩れるマミに杏子は尋ねた。 「もちろん無いに決まってるじゃない。でも、それが何か?」  顔を上げたマミが不満そうに答える。 「なら、初めて魔法少女に変身してその銃を握った時、どう思ったのさ?」 「……安心、かしら。こんなもの、触るどころか見たこともなかったのに、不思議と手になじんだわ」  マミが銃を拾い上げ、その銃身をそっとなでる。その手つきは武器に対するものと言うより可愛がっているペットを触るかのようだった。 「そう、それだよ」   そんなマミの姿を眺めながら、杏子が穏やかに告げる。自分もそうだった。初めて手に取った瞬間から、この槍をまるで腕の延長のように自由自在に扱えた。 「魔法少女の武器ってのはね、イメージが全てなの。自分ならこれで戦える。これに命を預けられる。そういう強い想いが、あたしたちに力を与えてくれるのさ」  杏子の手のひらの上のソウルジェム赤い光を放ち、一瞬のうちにそこから槍が現れる。滑らかな動きで槍を構え、頭の上で回転させたあとで杏子はすぐに槍ソウルジェムの中に戻す。 「悔しいけど、基本の魔力はたぶんあんたの方が上だ。棒立ちで銃を使い捨てるだけなんて無駄だらけの戦い方じゃなくて、もっとスマートにやりなよ」 「でも、どうやって……?」 「そりゃ、あんたが自分で練習するしかないさ。あたしは槍しか使えないし」  なにが間違っているかは指摘できる。けれど、どうすればいいかはうまく教えられる気がしないし、教える気もない。 「さて、今日の魔女退治は終わりだよ。あたしはホテルに帰るから、あんたも早く帰りな」  へたり込んだままのマミに声をかけ、杏子は魔法でフロントに言うことを聞かせて部屋を占拠している駅前のホテルへと向かって歩き出そうとする。 「待って!! 佐倉さん、私と特訓しない?」 「特訓?」 「二人で変身して、お互いに戦ってみればいいじゃない」  おずおずと提案してくるマミの言葉に杏子は足を止めて振り返る。 「そんな無駄なことに魔力を使ったらソウルジェムが濁っちゃうじゃん。なに考えてんのさ」 「グリーフシードが足りないなら、私からもう一つあげるわ。これを使い切るまで、特訓につきあってくれないかしら」  マミがグリーフシードを取り出し、杏子の手に握らせる。先ほど脅すようなことをしてしまったのは自分だと思うと、杏子はマミの願いをむげに断ることはできなかった。 「撃ったら必ず当てる!! 一発外す事に、あんたは一回死ぬよ!!」 「身体の周りに浮かせてる銃はただの飾り? そんなにいっぺんにたくさん出せるなら、それを活かした戦い方を考えなよ!!」 「動け! 足を使え! 考える前に身体を動かす!」  橋の下の河川敷で赤い少女と黄色の少女がぶつかり合う。事情を知らない人間が見たらいったい何事かと思うことだろう。  もちろん、なにも対策をしていないわけがない。「他人に言うことを聞かせる魔法」を応用した簡単な人払いの結界を杏子はこの場所の周りに張っている。  マミが「いい練習場所がある」と言って連れてきてくれたのがこの橋の下の河川敷だった。いくら魔法の武器とはいえ、普通の女子中学生が銃の扱いに習熟するまではそれなりの経験がいるだろう。もしかしたらここは以前から彼女が戦闘訓練に自分で使っていた場所なのかもしれない。 「あんたが疲れたって、魔女は見逃しちゃくれないよ!!」  昼間は街をぶらつくかマミの家でお菓子を食べては寝て過ごし、夕方になって学校から帰宅したマミと一緒に特訓の場所へ。 もともと体を動かすのは子供の頃から好きだった。だけど魔法少女になってからは、飛躍的に向上した自分の身体能力をもてあまし気味だったのは否定できない。  魔女との戦いをのぞくと、せいぜいの使い道はゲームセンターの体感ゲームで中学生の少女にはあり得ない点数とたたき出してギャラリーを驚かせるくらいだ。学校に行っていたら部活動なんかがあるのかもしれないが、あいにくと杏子にその機会はない。  だからだろうか。いつの間にか杏子は、こうやってマミに向かって全力を出せることに楽しさすら覚え始めていた。 「当てられるもんなら当ててみなよ!!」  マミが銃を構え、迫る杏子に狙いを付ける。動作を読んだ杏子が唐突に横っ飛びをする。射撃を外したマミが次の銃を取り出す間もなく肉薄する杏子。悔しげに歯を食いしばったマミは、素早く逆手に持ち替えた銃で杏子の槍の穂先をはじく。 「食らいな!!」  槍をはじき飛ばされても杏子の突進の勢いは止まらない。そのまま杏子の放った回し蹴りをまともに胴体に食らったマミが回転しながら吹き飛ぶ。  受け身を取って即座に立ち上がろうとしたマミがよろける。それを目にして、杏子は変身を解いた。  数日の特訓でみるみるうちにマミの近距離戦の技術は向上している。まだ一度もマミの銃弾を受けてはいないけれど、あと少ししたらそれも危ないかもしれない。やはり彼女には、天性の魔法少女としての才能がある。  いや、才能だけではない。マミの戦いにかける並々ならぬ熱意には同意はできないけれど、感心は禁じえない。  彼女はそう、昔の自分のようだ。父と二人三脚で、世界をよりよきものにできると信じていた幼い自分のよう。  荒い息を吐きながらマミが銃を支えに立ち上がる。 「あんた、もう限界でしょ。今日の分はもう終わりだね」 「悔しいけどそうみたいね。佐倉さん、明日こそは一発でいいから当ててみせるんだから」 「でも、あんたからもらったグリーフシード、そろそろ限界じゃん? 特訓を続けるにしても、あと一日くらいかな……」  話し合いながらマミと杏子は橋の下の河川敷から出て、堤防上を走る道へ上がる。特訓をしている間にすっかり日が暮れ、あたりを夕焼けの日差しが包んでいる。 「だめよ。特訓はもっと続けるんだから。私の魔法はみんなを助けるためのものなの。そのためには私は、もっと強くならないといけないのよ」 「みんなを守る、なんてあんたは言うけどさ。あんたにも契約の願いがあったんだろ? それはいいのかよ」  軽い口ぶりを装い、杏子はマミに尋ねる。 「まさかあんた、世界を良くしてくださいとか、正義の味方になりたいとか願ってないよね?」 「……そんなのじゃないわ」 「へえ、ならよかった。魔法なんて、自分のために使うのが一番だよ」  杏子は上着のポケットからあめ玉を取り出して封を切り、口の中へ放り込む。 「私の願いはもう、かなっちゃったから」  夕日が差す堤防の上で、マミがうつむきながらつぶやく。 「かなった……? そりゃあ、魔法少女の願いは契約した直後にかなうものじゃないか。あんた、なにを──」 「私の願いはね、『生きたい』 ただそれだけよ」 「それって……」  絶句する杏子のほうへマミが振り向く。横から差し込んだ夕日がその表情に影を差す。 「交通事故に遭ってね。痛くて、暗くて、怖くて、だんだん意識が遠くなって。私はもう、ここで死ぬんだなって思った」  語りながらマミが身震いをし、腕で自分の体を抱く。 「そんなときにキュゥべえがやってきたの。本当にひどい事故だったのよ。奇跡の生存者って、私のことがニュースに載ったくらい」 「助かったのって、あんただけなのか?」  答えの予想はついた。そんな杏子の問いに、マミは静かにうなずきを返す。 「だから、私がいまこうして生きている事そのものが魔法なの。奇跡なのよ」  二人の歩く堤防の下、穏やかに流れる川面を夕焼けが赤く染める。遠くに林立する高層ビルが夕日を浴びて輝く。 「これから先の人生ずっと、私は身につけたこの魔法で世界に恩返しをしなければいけないの。私を生き延びさせてくれてありがとう、って」 「そんなの……間違ってる。あんたを助けたのは、あんた自身の願いだ。魔法で助かった命だったとしても、それはあんた自身のものだよ」  大きなバッグを肩から提げた部活帰りらしき少女たちとすれ違う。薄い黄色の上着に胸元にはリボン、チェックのスカートの制服はマミと同じ見滝原中学のものだ。 「ううん、違うわ。魔法は私に生きる意味をくれた」  ちらりと通り過ぎる少女たちに目をやり、マミが続ける。 「魔法少女は、夢と希望を振りまくものなんでしょう? 私はね、そう思いたいの。そう信じたいの」  希望に満ちた目で言い切るマミ。彼女の様子に、杏子の胸中に黒いものが広がっていく。  そんなことを信じていられるのも今だけだ。いつかきっと彼女も、自分のように折れてしまう日が来る。  たとえばそう、「自分のためにだけに魔法を使う」自分がどんなことをしているか逐一マミに告げたら彼女はどんな顔をするだろう。特に言うことでもないと思って黙っていたけれど、なにもかも洗いざらいぶちまけてやろうか。  だが同時に、マミこそは昔の自分が信じた道を最期まで突き通してくれるのではないかとも思う。  相反する感情に胸中がざわめく。そんな杏子を、マミは気遣うように見つめる。 「佐倉さん? どうしたの?」 「あたしは──」  杏子が口を開こうとした瞬間だった。ソウルジェムを指輪の形にしていても感じる強い魔女の波動に、二人は立ち止まる。 「おい、これって……!!」  マミがうなずく。 「あのときの鏡の魔女の気配ね。家に帰っている暇はないわ。佐倉さん、このまま追いかけるけど大丈夫?」 「ああ。何なら変身して飛んでいくかい?」  二人でソウルジェムを宝石の形に変化させると、より気配がをたどりやすくなった。魔女の気配を追って見滝原の街を郊外へ向かって杏子とマミは走る。たどり着いた先は、見滝原と山を挟んだ隣町とを繋ぐトンネルの入り口だった。  ちょうど、杏子がこの街に来るときに通った道だ。  トンネルの中の暗闇が不気味にうごめく。この様子だと、トンネル全体が結界に飲み込まれているようだ。 「じゃあ、飛び込むよ。用意はいい?」 「佐倉さんこそ」  ソウルジェムを掲げると、それぞれ赤と黄色の光の粒子が二人の体を包む。混じり合った光が消えたあとに、魔法少女の衣装をまとい、それぞれの武器を構えたマミと杏子が立つ。 「それじゃ、いくよ!!」  肩に槍を担いだ杏子はマミに一声かけると結界に飛び込む。両手に銃を構えたマミがそのすぐ後ろに続く。 「一気に飛ばすよ」 「わかったわ!!」  マミに声をかけて杏子は飛び上がり、魔女が居るであろう結界の最深部へ一直線に飛ぶ。時折後ろから聞こえる銃声は、飛行しながら狙撃しているマミのものか。  一度来たことがある結界だから道に迷うことはもう無い。ためらうことなくいくつもの分かれ道を通りすぎ、杏子とマミは瞬く間に最深部、あの鏡の大広間へつづく光の扉へたどり着く。 「この奥に魔女が居るのよね?」 「ああ。あんた、用意はいいかい?」  うなずきながらマミが両手に銃を構える。それを見た杏子は、一息に光の扉へ飛び込んだ。 「……!! 私の小さな頃? そんな……」 「気にするな!! 単なる目くらましみたいなもんさ!!」  周囲をぐるりと取り囲んだ鏡の中から、幼い頃の姿をした杏子とマミがこちらを無表情に見つめている。そういえば、マミは前回は鏡の間の中に入ってこないで入口から射撃しただけだったか。  鏡に映るマミは、幼いなりにおしゃれしたよそ行きの格好をしている。もしかして、これは彼女が事故にあったときの姿なのだろうか。 「周りの鏡を壊しな!!」  長くのばした杏子の槍が数枚の鏡をまとめてたたき割る。その音に呪縛を解かれたマミも、体の回りにたくさんの銃を出現させて射撃を始める。  割った鏡の向こうにはまた鏡がある。いくら壊しても、こちらを見つめるよりよき頃の自分たちの姿は消えない。 「佐倉さん、こんな事をしてなにか意味が……?」  マミが疑問を浮かべると同時に、未だ残っている鏡に映る様々な姿をしたマミと杏子が黒く染まり不定形の固まりとなって鏡の外に這い出してくる。 「なによ、これ……?」 「これがここの魔女の正体さ。こらえきれなくなってこうやって出てくれば、もうこっちのもんだね」  にじり寄ってきた魔女の断片を数体まとめて杏子は槍で突き刺す。 「佐倉さん、鏡一つからは一体しか出てこないわ!」 「なら、残っている鏡の全部にいったん写ってから、まとめて倒しちゃえばいいね!」  杏子が魔女の断片をかわしながら飛び回り、自分の姿を鏡に映す。新しい鏡に杏子が映るたびに、次々に鏡の中から新しく魔女が這い出てくる。  出てくるそばからマミが狙撃していくが、増加のペースがあまりにも速すぎて追いつかない。 「ちっ……!!」  自分を追いかけていた魔女の一軍が突然向きを変え、マミの方へ突進し始める。杏子は慌てて方向転換し、槍をのばしてなぎ払うが群れ全体を倒すまでにはならない。  遠くの魔女を狙撃するのに気をとられたマミは、魔女の群れがが向かってくるのに気づいていないように見える。 「マミ!!」  顔を上げて杏子の方を一瞬見たマミが笑った気がした。 「えい!!」  眼前に迫った魔女の群れにマミが両手の銃を放つ。撃ち漏らしが突進してくるのを弾切れの銃をクロスさせて構えて防ぎ、そのまま押し返す。  いつの間にかスカートの中から現れていた新しい銃をマミが足で蹴って跳ね上げる。宙に浮く銃をよそに、マミは手に持った弾切れの銃で後ろから襲いかかってきていた魔女を横殴りに叩き潰す。一回転したところでちょうどよく体の前にあがってきた新しい銃に持ち替え、先ほどはね飛ばした魔女に狙いをつける。 「これで!!」  狙いあまたず銃弾が魔女を貫く。杏子が助けに入る間もなく、マミに向かった魔女たちは一掃されていた。  宙に浮かんで見下ろす杏子に向かってマミがウィンクする。やるじゃないか、あの娘。 「佐倉さん、あと少しよ」  しばらく飛び回りながら魔女を突き刺したあと、杏子はマミの隣に降りる。彼女の指す方向を見ると、ばらばらでは勝ち目がないと悟ったのか魔女の断片たちが固まって一体になろうとしていた。 「ずいぶん大きいな……」  周囲の鏡から新しい魔女が出てくる気配はない。つまりは、あれを倒せばそれでおしまいだ。 「私に任せて。あのくらいなら一撃だから」  そういえば初めて出会ったときにも、確かマミは巨大な大砲を使っていた。またあれで攻撃するのだろうか。 「佐倉さん、ちょっと危ないから少し離れていてね」  合体を終えた魔女の黒い固まりが気味の悪い音を立てながら震えている。マミの言葉に従い、杏子は彼女から距離をとる。 「これで終わりよ……」  マミが襟元からリボンを引き抜いて宙にかざす。空中で絡まったリボンが急激に体積を増して大砲を形作る。大砲から生えた脚が結界の床にしっかりと固定される。  砲の後部で片目をつぶり狙いをつけたマミが高らかに叫ぶ。 「ティロ・フィナーレ!!」  放たれた巨大な光線が魔女の固まりの中心を貫く。ばらばらになっていく魔女。砲弾を放つと同時に消滅する大砲。 「ふぅ……」  一仕事終えた満足感をたたえ、マミが額の汗をぬぐう。 「佐倉さん、やったわ!! 見てたでしょう?」 「おい、後ろ……!!」  うれしそうにこちらへ駆け寄ってくるマミの後方で、砲弾に貫かれなかったほんの少しの魔女が再び集合する。  杏子の声に立ち止まり、振り向いたマミへ魔女の触手が伸びる。銃を出すことすらせず、棒立ちになって固まるマミ。 「なにやってるのさ!!」  槍をのばしながらマミへ駆け寄った杏子が伸びてくる魔女の触手の先端を切り落とす。その勢いのまま槍を振り回し、残った本体をめった打ちにする。  槍を手元に引き寄せ、分離していた柄を結合させる。全力で飛び上がり、杏子は体当たりするように突き上げて残っていた魔女の中心を貫く。  ぶるぶると震えた魔女が次の瞬間に細かい霧になって消え去る。それと同時に結界が薄れ、何の変哲もないどこにでもあるようなトンネルの風景が戻ってくる。  へたり込むマミの横で額の汗をぬぐう杏子の耳に、少し離れたところにグリーフシードが数個ほど路面に落ちる音が届く。複数個を落とすタイプとは珍しいが、集合体の魔女だからだろうか。なんにせようれしい収穫だ。 「それじゃ、約束だからこれはあたしがもらうよ。これで、あんたと協力するのも終わりだね」  グリーフシードを拾い集めながら杏子はマミに声をかける。 「佐倉さん、待って。あなた、これからも見滝原の街に居るのよね?」 「うーん、どうしよっかなー」  見滝原で魔法少女として活動を続ける限り、どこかでマミと行き会うだろう。  自分自身のための願いで契約し、他人のために戦い続ける魔法少女。他人の願いを叶えるために契約し、いまは自分自身のためにだけ魔法を使う自分とは正反対。  そもそも、ここまで協力関係を結べただけでも奇跡のようなものだと思う。グリーフシードという媒介がなければ、とっくの昔にマミと自分は対立していただろう。  特訓なんかをやったおかげでちょっと情が移ってしまった。マミの家でたくさん食べさせてもらったケーキもおいしかった。だけど、そろそろ潮時なのかもしれない。  そういえば、この近くにちょうどいい場所が…… 「ちょっとそこまで、歩けるかい?」 「なに? あんまり遠くでなければ大丈夫だけど……」  マミの答えを聞くと、杏子はトンネルを出て見滝原へ戻る方向へ歩き出す。慌ててついてくるマミを従え、しばし歩くと杏子は立ち止まり道路脇のガードレールを軽やかに乗り越える。。まごつくマミをよそに、闇の広がる森の中を迷いのない足取りで杏子は進んでいく。 「ちょっと、佐倉さん。いったいどこまで行くつもり?」 「もうすぐだって」  マミを連れた杏子が高圧電線の鉄塔の下で足を止める。きらびやかな見滝原の街の灯りのせいで、上に広がる夜空にはほとんど星が見えない。 「……よし」  一人うなずいた杏子が鉄塔の上へ飛び上がる。あっけにとられて見上げるマミに向かい、杏子は手を伸ばした。 「ほら、あんたも来なよ」 「そんな、危ないわよ」 「うちらの身体なら大丈夫だって」  ためらうマミを杏子は辛抱強く待つ。あきらめたのか、マミはため息をつくと杏子の隣へ飛び上がった。 「こんな事をするの、今日だけだからね」 「じゃ、もっと上に昇るぞ。きちんとついてこいよ」  鉄骨から鉄骨へと軽々と飛び、杏子は鉄塔の上を目指す。一瞬下に視線を向ければ、負けずについてきているマミの姿が目に入った。  三段ある高圧線鉄塔の腕木の一番上。立ち並んでいた木々の梢は、もう視界にも入らない。  鉄骨に腰掛けると、杏子は上着のポケットから取り出した菓子の封を開けた。 「佐倉さん、こんなところまで来るなんて聞いてないわよ」  遅れてやってきたマミが、杏子の隣に座る。地上から十数メートル、並の人間では落ちたらひとたまりもない高さだが、魔法少女の平衡感覚の前では公園のベンチと変わりはない。 「あんたと出会う前、この街に戻ってきたときにさ。あたし、ここから街を見下ろしたんだ」  眼下には広大な見滝原市街が広がっている。郊外に建ち並ぶ風力発電の風車が勢いよく回転しているのが小さく見える。 「あんたには、あの街がどう見えるのさ?」  顎をしゃくって杏子が眼下に広がる見滝原の夜景を示す。中心街にそびえる高層ビル群では航空灯が明滅している。  その上を、海に面した工業地帯から流れた煙突の煙がゆっくりとたゆたっていく。 「大切な、私の……私たちの街よ。守ってあげなければ行けない人達の住む街。きっとあの灯り一つ一つの下に、それぞれの幸せな家庭があるんだわ」  マミの遠くを見るような目は、果たしてただ見滝原の市街地を眺めているからだけなのだろうか。 「ああ、そう」  言外に同意を求めているようなマミの声色を無視し、杏子は素っ気なく呟く。眉を寄せたマミが座ったまま杏子の方へにじり寄り、その手を取る。 「佐倉さん、あなただってそう思ってるでしょう。だからこれからも、私と──」 「あたしには、あの街は単なる魔女と使い魔の養殖場にしか思えない」  マミから顔をそらしたままの杏子は視線の先では、ひときわ目を引く高さの見滝原中央病院の黒々とした姿がある。 「あんたと一緒に使い魔を何体かやっつけただろ? あのとき、こんなの無駄だってずっと言いたかった。使い魔なんて放っておけばいい。あいつらが魔女になるまで待てば、それだけたくさんのグリーフシードが手に入るのに」  使い魔は育つ前の種であり、魔女は収穫すべき果実。杏子にとって、それはしごく当たり前の現実だ。 「そんな……!! 使い魔だって放っておけば人を殺すこともあるのよ。魔女になるまで待つなんてありえないわ」  マミの手をふりほどき、杏子は鉄骨の上に立ち上がる。 「自分のために魔法少女になったあんたが他人のために戦って、他人のために魔法少女になったあたしが自分のために戦う」  ふっと息を吐き、杏子は首をめぐらせてマミを見つめる。 「ほんと、皮肉なもんだよね」 「佐倉さん、あなたのやり方には賛成できないわ」  こちらも鉄骨の上に立ち上がったマミがソウルジェムを銃に変化させ、杏子に突きつける。 「……そんなこと、させない」 「へぇ、いつの間に変身しないで武器を出せるようになってたの? あたしなんてそれが出来るようになるまでかなりかかったのに」 「私たち魔法少女に、こんな人とは違う力が備わっているのはなんのためか忘れたの?」 「あたしたちが魔法少女なのは、願いを叶えてもらった代償だろう? ただそれだけのことじゃん」 「あなたは……っ!!」  マミが言葉尻に怒りをにじませるが、どこ吹く風で杏子は彼方を眺めている。 「あなたとなら、うまくやっていけると信じていたのに。二人で街を守れるって、思ってたのに」 「悪いけど、あたしはそういうの、どうでもいいから。魔法なんて、自分のために使えばいいのさ」  目の前で表情に怒りをにじませるマミの姿が、契約したばかりの頃の自分とだぶる。あの頃の自分も、父の話を聞いてくれない見滝原の住人たちにこうやって幼い怒りを抱いていた。  背中に隠したソウルジェムから杏子が槍を出現させ、その勢いのまま振り回す。上半身を反らせてかわしたマミがバランスを崩す。 「足元がお留守だよ!!」 「きゃっ!!」  すかさず足払いをかけた杏子にあえなく倒され、マミは頭から下へ落ちていく。落下する途中のその全身が黄色い光に包まれ、その中から魔法少女の衣装に身を包んだマミが現れる。  四方八方にリボンを伸ばし、鉄塔と木々にリボンを引っかけたマミが空中で制動を掛ける。 「まだまだっ!」  何とか体制を立て直し、足から地面に降りたマミに上空から杏子が一直線に襲いかかる。とっさにマミが出した二挺の銃と杏子の槍がぶつかり合い火花を散らす。 「佐倉さん、なにするのよ!!」 「先に銃を向けてきたのはあんたのくせに、何を言ってるんだい? あたしとあんたはもう仲間でも何でもないからね。見滝原の縄張りは、あたしがもらうよ!!」  銃身と槍の柄で押し合いながら、杏子とマミがにらみ合う。後ろに飛んで距離をとると、二人はお互いに武器を構えて対峙する。  マミの伸ばした腕からリボンが伸びる。槍を振り上げてて杏子はリボンを切り落とす。切断されてくたりとしたリボンが地面に落ちるより早く、マミの手元から新しいリボンが伸びてくる。  森の木々を利用して飛び上がった杏子が上からマミに槍を振り下ろす。銃身を利用して受け止めたマミにうまく受け流され、杏子が一瞬体勢を崩す。  その間に距離をとり、身体の回りにたくさんの銃をマミは展開させる。杏子がそれに気づいた瞬間には、マミの銃は火を噴いている。 「狙いが甘い!!」  飛び退いた杏子からだいぶ外れた地面や木々を、マミの銃弾がうがつ。 「あれ……?」  外れ弾の弾痕から無数のリボンが伸びてくる。四方八方をリボンに取り囲まれ、対処する間もなく杏子は全身を縛り上げられて木から吊される。  取り落とした杏子の槍が煙を上げて消えてゆく。新しい槍を出そうにも、全身を何重にもリボンで締め上げられた状態では腕を動かすことすらできない。 「……完敗だよ。やるじゃん、巴マミ」  厳しい目で杏子をにらみつけ、油断なく銃を構えたままマミが近寄ってくる。 「銃弾からリボンを生やす、か…… 銃も銃弾もリボンも、全部魔法生成物だから相互に変換可能だったね。やっぱりあんた、たいした魔法少女だよ」 「この街は私一人で守る。あなたみたいな魔法少女には、指一本触れさせないわ」 「こうしてると、初めて会った時を思い出すじゃないか」  あのときと違うのは、自分を拘束しているのが魔女ではなく魔法少女だと言うこと。 「佐倉さん、今すぐこの街から出て行って」  いまにも自分を撃ちそうな勢いのマミに、あきれたように杏子はうなずく。 「巴マミ、あんたが居なくなったら、見滝原の縄張りははあたしがもらいうけてやるよ」 「あなたになんて渡さないわ。この街のみんなは、これからずっと私が守るもの」  銃を突きつけるマミの前で、リボンから解放された杏子は変身を解いた。警戒したマミにソウルジェムを取り上げられ、二人は元来た道路へ戻る。 「佐倉さん、もう一度訊くけど、私と一緒にこの街を守ってくれるつもりはないのね?」 「あんた、くどい。そんなんじゃ男の子にもてないよ?」 「そういう話をしてるんじゃないわ……っ!!」  顔を紅潮させたマミの身体に杏子に銃を突きつけられ、杏子は苦笑しながら両手を上げた。もしかしたら、いまの発言は何かマミの逆鱗に触れていただろうか? 「じゃあね、巴マミ。あんたのケーキ、おいしかったよ」  最期に一言だけ言い残すと、返事を聞かずに杏子は歩き出す。  もとより自分には決まった居場所はない。昔のように、根無し草の暮らしに戻るだけだ。  上着のポケットに手を突っ込むと、奇跡的にスナック菓子の箱がまだ残っていた。内袋をあけ、取り出した菓子をくわえる。  背中には自分を監視しているマミの視線を感じる。もしかしたら、彼女はまだ自分に銃を向けているのかもしれない。 「そんなぴりぴりしなくてもいいっつーの」  歩きながら杏子がこぼした言葉は、誰にも届かない。              *  山の中の森を切り開いた峠道を、こんな時間に通ろうというものなどほとんど居ない。  この峠のトンネルを抜ければその先は見滝原の街だ。山越えをする前に買ってきた沢山の鯛焼きもあと一つを残すばかり。。軽くなった袋を抱え、星のほとんど見えない闇夜の中を杏子はひとり黙々と歩いてゆく。  その昔、このトンネルに張られた魔女の結界でマミと二人で戦ったことを思い出す。改めて歩いてみると、トンネルはあきれるくらいの短さだった。  追い越していく乗用車のヘッドライトからの光で、杏子の影が長く伸びる。 「……ここだね」  見覚えのあるガードレールを見つけ、杏子は足を止める。  ガードレールを乗り越え、闇に包まれた森の中を脇目もふらずに進む。しばらくの後、森の中に現れた高圧線の鉄塔を見上げて杏子はしばしその場にたたずんだ。 「…………」  無言のまま飛び上がった杏子はそのまま勢いよく高圧線鉄塔の上へと昇っていく。  巴マミ。かって杏子がほんの少しの間だけ共闘した魔法少女。この場所で、一緒に見滝原の夜景を見下ろした少女。  あのときからもう一年ちかくなる。マミに追われ見滝原を出て各地を転々とするうちに何人か他の魔法少女に出会ったけれど、やはりどこにもマミのような娘はいなかった。  そのマミが、死んだという。  新米ならともかく、もともと高い魔力を持つうえに杏子みずからが戦いの手ほどきをしたマミが死ぬなんて信じられなかった。  それとも、マミを殺すほど強力な魔女がまた発生したと言うことなんだろうか。 「待ってな、マミ。この街の縄張りは、あたしが引き継いでやるよ」  鉄塔の上で腰を下ろし、夜景の明かりを見下ろしながらぽつりと呟くと杏子は鯛焼きを頬張る。 「それは無理だよ、杏子。この街にはもう新しい魔法少女がいる」  闇の中から音もなく現れた白い姿を杏子はにらみつけた。 「いやあ、まさか君がやってくるとはね」 「こっちはマミの奴がくたばったって聞いてわざわざやってきてやったのに、話が違うじゃんか?」 「悪いね、この土地にはもう新しい魔法少女がいるんだ。さっき契約したばかりだけど」  口ぶりだけは済まなさそうに、しかし全く表情を変えないキュゥべえ。 「はぁ? なにそれ、超むかつく」  どうせその娘も、考えの甘い新米なんだろう。 「でもまあいいや。こんな絶好の縄張り、みすみすルーキーのひよっこにくれてやるのもシャクだしね」  自分のように、魔法は自分のためと割り切るのでもなく。マミのように、無私に世界に尽くすのでもない。大したことのない願いで魔法の力を得て、たいした覚悟もなく戦う娘が居るだけなんだ、きっと。 「どうするんだい、杏子?」  なにもかも承知だろうに。白々しくたずねてくるキュゥべえを杏子は一瞥する。  鯛焼きの最後の一口を飲み込み包み紙を捨てる。鉄骨の上に立ち上がり、キュゥべえの方へ向き直った杏子は歪んだ笑いを浮かべる。  可哀想なマミ。あんたも結局は駄目だったんだね。最期まで、夢と希望を信じて戦えたのかい?  あたしはあんたのようにはならない。あたしは、最期まで、魔法を自分のために使うよ。 「決まってんじゃん」 「ぶっ潰しちゃえばいいんでしょ? その娘」